公衆浴場のボイラーにより騒音の被害を受けたとする住民の損害賠償請求が棄却された事例(詳細版)
【事件分類】損害賠償等請求事件
【判決日付】平成22年7月21日
主文
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第1 請求
1 被告は,原告甲野春子に対し,1806万9480円及びうち605万9370円
に対する平成21年2月13日から,うち1201万0110円に対する平成22年2月
8日から,各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 被告は,原告甲野明夫に対し,400万円及びこれに対する平成21年2月13日
から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 当事者の主張
1 請求原因
(1) (ボイラー騒音に係る不法行為)
ア 被告は,平成16年12月1日,別紙物件目録1記載の土地(以下「本件土地」と
いう。)及び同目録2記載の建物(以下「本件建物」といい,本件土地と本件建物を合わ
せて「本件土地建物」という。)を買い取り,本件建物を乙川和男に「乙川湯」(昭和3
1年に開業した公衆浴場)営業の目的で賃貸した。乙川和男は以後乙川湯を経営してきて
おり,平成19年11月28日に同人が死亡した後は乙川秋子が乙川湯を経営してきたが,
平成21年9月30日限りで乙川湯を廃業した。
原告らは肩書住所地にある建物に居住しており,原告らの住居は乙川湯から道路を隔て
た西側に隣接している。
イ 「都民の健康と安全を確保する環境に関する条例」(平成12年東京都条例第21
5号。以下「本件条例」という。)68条1,2項及び別表第7の第5項は,第1種住居
地域内の指定作業場については,作業場敷地と隣地との境界において,午前8時から午後
7時までは50デシベル,午後7時から翌日午前8時までは45デシベルを超える騒音を
発生させてはならない旨定めている。乙川湯は本件条例にいう「指定作業場」に該当し,
原告らの住居及び乙川湯は本件条例の第1種住居地域内に存する。
しかるに,乙川湯が平成18年2月27日に浴場用ボイラーを重油ボイラーからガスボ
イラーに変更する工事を行った以降,ボイラーから,昼間から深夜に至るまで,乙川湯の
隣地境界で常時57デシベル,ほぼ15分ごとに60デシベルを超える騒音が発生してい
た。
ウ 乙川和男及び乙川秋子(以下,両名を合わせて「乙川ら」という。)が営業してい
た乙川湯のボイラー騒音は本件条例の規制に違反するものであり,これにより隣地に居住
して生活していた原告らは不眠,体調不良等が生じた。乙川湯のボイラー騒音は受忍限度
を超える違法なものであり,乙川らに不法行為が成立する。
被告が乙川らに対し,何らの注意を払うことなく,漫然と本件建物を乙川湯の営業のた
めに賃貸し続けた行為は不法行為に当たり,被告は乙川らと共に共同不法行為責任を負う。
又は,被告は乙川らに対し乙川湯の本件建物を貸与することにより,乙川らの上記不法
行為を幇助したから,共同不法行為責任を負う。
エ 原告甲野春子(以下「原告春子」という。)は,乙川湯のボイラー騒音のために平
成18年6月から不眠症となり,平成20年12月8日には不眠の結果転倒して右大腿骨
頚部を骨折し,平成21年1月27日まで入院した。さらに,騒音によるストレスが原因
で多発性脳梗塞及び高血圧症になり,平成21年4月13日から同年7月10日まで入院
し,その後も通院治療を受けた。また,脳梗塞の後遺症として嚥下機能障害,上肢機能障
害及び体幹機能障害となり,平成21年10月29日付けで身体障害程度等級1級となっ
た。
このように,平成18年2月27日以降乙川湯のボイラー騒音に係る上記不法行為によ
り,原告春子は次の損害を被った。
(ア) 騒音被害の慰謝料 400万円
(イ) 転倒受傷による入院治療費 25万9370円
(ウ) 転倒受傷による入院慰謝料 80万円
(エ) 多発性脳梗塞等による入通院治療費 81万0110円
(オ) 多発性脳梗塞等による入通院慰謝料 120万円
(カ) 後遺症としての嚥下機能障害慰謝料 1000万円
オ 平成18年2月27日以降乙川湯のボイラー騒音に係る上記不法行為により,原告
甲野明夫(以下「原告明夫」という。)は心的,肉体的苦痛を被った。これを慰謝するに
は300万円を要する。
(2) (乙川湯の建物及び万代塀の老朽化からくる不安感に係る不法行為)
ア 被告が所有する乙川湯の建物及び万代塀は,昭和31年の建築以来,外装・内部設
備補修工事や耐震改修工事がされたことはほとんどないため,耐震性が非常に低く,外装・
内部設備も極度に老朽化しており,地震による倒壊や,大風による屋根等の損壊・飛散,
電気系統に起因する火災により,原告らの住居や身体に危害が及ぶおそれがあった。
被告は上記危険を除去する義務を負うのに,漫然とこれを怠り放置してきた。その結果,
原告らは危険が及ぶ不安感を抱いている。これは,被告の不法行為に当たる。
イ 被告の上記不法行為による原告春子の不安感に対する慰謝料として100万円を要
する。
ウ 被告の上記不法行為による原告明夫の不安感に対する慰謝料として100万円を要
する。
(3) よって,原告らは被告に対し,不法行為による損害賠償として,次の各金員
の支払を求める。
ア 原告春子につき,605万9370円(400万円,25万9370円,80万円,
100万円の合計)及びこれに対する不法行為の日の後である平成21年2月13日から,
1201万0110円(81万0110円,120万円,1000万円の合計)及びこれ
に対する不法行為の日の後である平成22年2月8日から,各支払済みまで民法所定の年
5分の割合による遅延損害金
イ 原告明夫につき,400万円(300万円と100万円の合計)及びこれに対する
不法行為の日の後である平成21年2月13日から支払済みまで民法所定の年5分の割合
による遅延損害金
2 請求原因に対する認否
(1) 請求原因(1)のうち,ア,イの前段を認めるが,イの後段を否認する。ウ
を争う。エの前段は不知,エの後段を否認する。オを否認する。乙川湯のボイラー音は受
忍限度を超えるものではなく違法でない。
(2) 請求原因(2)アのうち,被告所有の乙川湯の建物及び万代塀は耐震改修工
事がされたことがないことを認め,その余を否認ないし争う。イ,ウを否認する。乙川湯
の建物及び万代塀の老朽化について被告に不法行為は成立しない。
第3 当裁判所の判断
1 当事者間に争いがない事実に,証拠(甲1ないし13,16(枝番を含む。),乙
B1ないし18(枝番を含む。))及び弁論の全趣旨を総合すると,次の事実が認められ
る。
(1) 原告春子及び原告明夫は,肩書住所地にある建物に居住している。原告らが
居住する建物は,鉄骨造陸屋根3階建共同住宅であり,昭和46年3月に建築された(甲
2の1)。
(2) 乙川湯の建物は,昭和31年5月に本件土地上に築造された木・鉄筋コンク
リート造瓦・亜鉛メッキ鋼板葺・陸屋根2階建の公衆浴場・居宅・燃料庫である(甲5の
1)。本件建物の周囲には万代塀が設置されている。昭和31年以降本件建物において乙
川湯という公衆浴場が営業されてきた。乙川湯の建物及び万代塀は,建築以来耐震改修工
事がされたことはない。
原告らの建物は,乙川湯から私道を隔てた西側にあり,原告ら住居の玄関から3mほど
離れた乙川湯の建物内にボイラー室がある。ボイラー室は本件建物内に設置され,内壁,
外壁,防火扉により密閉された空間である。ボイラー室の防火扉の横には玄関扉がある。
(3) 乙川湯の近隣住民は,平成16年6月22日,渋谷区長に対し,乙川湯の廃
業が予定されているので,その存続のための措置を講ずるように求める陳情書を提出した
(乙B1)。被告は,乙川湯が地域における公共性の高い施設であり,利用者のために存
続させる必要があったことから,同年12月1日に本件土地建物を買い取った(甲5の1・
2)。被告は,同日,乙川和男との間で本件建物について定期建物賃貸借契約を締結する
とともに,同人が本件建物を公衆浴場として使用するに当たり遵守すべき事項を定めた覚
書を取り交わし(乙B2の1・2),同人において乙川湯の営業を継続することとなった。
乙川和男は平成19年11月28日に死亡し,その後は妻である乙川秋子が乙川湯の営業
を継続した。
(4) 乙川和男は,平成17年4月に本件建物の煙突補強工事,風呂釜周辺の補修
工事等を実施し,被告はこれらに必要な経費を助成した。
乙川和男は,乙川湯の隣人である原告明夫及び丙谷正夫との間で,同年9月30日,燃
料重油搬入車両の停車,廃材置場,害虫,カラオケ・浴場清掃による騒音等について,乙
川和男が近隣住民に対する配慮を怠らないことを内容とする誓約書(乙B8)を取り交し
た。
乙川和男は,同年10月から同年11月にかけて,本件建物について白蟻調査,ねずみ
駆除,廃棄物処理,除草作業等を実施し,被告はこれらに必要な経費を助成した。被告は,
平成18年2月27日,乙川湯の浴場用重油ボイラーをガスボイラーの設備ヘと変更する
工事,倉庫解体工事,裏庭整地作業,煙突撤去工事を実施した(甲7)。被告は,同年4
月から同年5月にかけて本件建物の外壁修繕工事を実施し,同年7月に本件建物の屋根修
繕工事を実施した。
原告明夫及び丙谷正夫は渋谷区長に対し,同年7月13日付け要望書(翌14日到達。
乙B9)により,廃材,害虫,トラックの駐停車等により近隣住民が迷惑を被っていると
して,平成19年3月31日以降は本件建物の定期賃貸借契約を締結しないように求めた。
これに対し,被告は,平成18年9月28日付け回答書(乙B10)により,乙川湯の公
共性を説明した上で,要望の趣旨を踏まえ乙川湯に助言していく旨を述べた。平成18年
9月,被告は本件建物の窓ガラス,扉等の修繕を実施した。
(5) 原告らから委託を受けた業者が平成21年1月23日午後3時45分から午
後4時45分にかけて乙川湯の隣地境界における騒音を測定したところ,ボイラーバーナー
停止中で57デシベル,ボイラーバーナー稼働中で60デシベル程度の騒音が観測された
(甲11)。原告らは,平成21年2月10日付け通知書(同月12日到達。乙B13)
により,渋谷区長に対し,ボイラー音を原告らの受忍限度内に下げることと本件建物の改
修・補修及び損害賠償を請求する旨を通知した。
これを受けて,被告及び乙川秋子は防音対策を講ずることとし,同年2月20日に乙川
秋子においてボイラーの点検を行った。同年3月10日,被告から依頼を受けた業者が乙
川湯西側隣地境界における騒音を測定したところ,54デシベルの騒音が測定された(乙
B14)。被告は同年3月26日及び27日に乙川湯ボイラー室の壁面隙間のシール処理,
扉への鉄板の増し貼り,排気部位への消音器の設置及び換気設備の設置等の防音修繕工事
を実施し(乙B14),乙川秋子は同月28日に濾過用ポンプ取替工事を実施した(乙B
15)。同年3月27日,被告から依頼を受けた業者が,上記防音修繕工事後の乙川湯の
西側隣地境界における騒音を測定したところ,ボイラー稼働時において47デシベルの騒
音が測定された(乙B14)。
被告は,同年4月16日,原告らに対し,ボイラー音が上記工事後は低減したこと,本
件建物の大規模な耐震改修等は実施が困難であること,損害賠償は因果関係が明らかでな
ければ応じかねる旨を伝えた。
(6) 被告は環境スペース株式会社に委託して,同年7月15日にボイラー音の測
定を実施した(乙B16)。その概要は,次のとおりである。
ア 測定日時 同年7月15日(昼間)午後3時15分から同25分まで,(夜間)午
後11時13分から同30分まで
イ 測定場所 本件建物(ボイラー室)の敷地境界付近
ウ 測定方法 「環境騒音の表示,測定方法」に準拠し,普通騒音計及びレベルレコー
ダを使用して測定。
エ 測定結果
(昼間)
浴場用ボイラー及び濾過器稼働時 48デシベル
浴場用ボイラー及び濾過器停止時 46デシベル
(夜間)
浴場用ボイラー及び濾過器稼働時 48デシベル
浴場用ボイラー停止時 47デシベル
(7) 乙川秋子は平成21年9月30日限りで乙川湯の営業を廃止し,その後被告
は乙川湯の建物及び万代塀を解体・撤去した。
(8) 本件条例(甲12)68条1,2項及び別表第7の第5項は,第1種住居地
域内の指定作業場については,作業場敷地と隣地との境界において,午前8時から午後7
時までは50デシベル,午後7時以降午前8時までは45デシベルを超える騒音を発生さ
せてはならない旨定めている。乙川湯は,本件条例にいう「指定作業場」に該当し,原告
らの住居及び乙川湯は本件条例の第1種住居地域内に存する。
2 以上認定の事実に基づき,ボイラー騒音に係る不法行為の成否について判断する。
(1) 原告らは,乙川湯のボイラーが重油ボイラーからガスボイラーに変更された
平成18年2月27日以降,ボイラー騒音により睡眠妨害等の騒音被害を被ってきたとし,
これは乙川湯を営業している乙川らの不法行為に当たると主張するので,検討する。
一般に,公衆浴場の操業に伴う騒音による被害が,第三者に対する関係において,違法
な権利侵害ないし利益侵害になるかどうかは,侵害行為の態様,侵害の程度,被侵害利益
の性質と内容,当該公衆浴場の所在地の地域環境,侵害行為の開始とその後の継続の経過
及び状況,その間に採られた被害の防止に関する措置の有無及びその内容,効果等の諸般
の事情を総合的に考察して,被害が一般社会生活上受忍すべき程度を超えるものかどうか
によって決すべきである。公衆浴場の操業が法令等に違反するものであるかどうかは,そ
の受忍すべき程度を超えるかどうかを判断するに際し,上記諸般の事情の一つとして考慮
されるべきであるとしても,それらに違反していることのみをもって,第三者との関係に
おいて,その権利ないし利益を違法に侵害していると断定することはできない(最高裁平
成6年3月24日第一小法廷判決・裁判集民事172号99頁参照)。
そして,乙川湯のボイラー騒音が原告らに対する関係において受忍限度を超えるものか
どうかを判断するには,原告らの主張する睡眠障害等との関係において騒音の程度を検討
するのが相当であるから,窓を閉めた室内で測定した数値を検討するのが適切である。本
件において,平成18年2月27日以降被告による防音修繕工事実施前までのボイラー音
については,原告らが平成21年1月23日に実施したボイラー音の測定結果(甲11。
乙川湯のボイラー騒音が常時57デシベルを超え,ほぼ15分ごとにバーナーから発せら
れる60デシベルを超える騒音があったとするもの)があるが,これは屋外の敷地境界に
おける測定結果であり,その測定時間も午後3時45分から午後4時45分までの1時間
に限られる。これらの事情に,同年3月10日に被告の依頼を受けた業者が騒音を測定し
た結果では乙川湯西側隣地境界で54デシベルであったこと(乙B14)を併せ考慮する
と,甲11のみをもって直ちに敷地境界で常時57デシベル程度の騒音が生じていたと推
認することはできない。また,甲11の測定場所が屋外であることを考慮すると,室内に
流入するボイラー騒音は,窓を閉めることによって更に相当程度低下するものと推測され
る。
原告らは,以前から乙川湯の廃材,害虫,トラックの駐停車等により近隣住民が迷惑を
被っているとして渋谷区長に対し要望書を出していたが,乙川湯のボイラー騒音について
苦情を申し立てたのは平成21年2月10日付け通知書が初めてであり,それ以前に原告
らを含む近隣住民がボイラー騒音の苦情を申し立てた形跡はない。
被告は,原告らからボイラー騒音の苦情の申立てを受けた後,速やかに防音対策に着手
し,1か月半後にボイラー音の防音修繕工事を行い,その結果,ボイラー音の測定値は,
屋外である本件建物敷地境界付近で47デシベルまで低減しており,相当の効果を挙げて
いる。防音修繕工事後のボイラー稼働時の騒音は,同年7月15日実施のボイラー音測定
結果によっても,午後3時15分から午後3時25分において,ボイラー等稼働時で48
デシベル,停止時で46デシベル,午後11時13分から午後11時30分において,ボ
イラー等稼働時で48デシベル,停止時で47デシベルである。このように,防音修繕工
事後のボイラー音は,昼間は敷地境界で本件条例所定の騒音レベル(50デシベル)を超
えていない。夜間は本件条例の騒音レベル(45デシベル)よりも3デシベル超過するが,
ボイラー停止状態でも既に条例所定の騒音レベルを超える47デシベルであるから,ボイ
ラー音による影響は1デシベルにとどまる。ボイラー稼働時の騒音(48デシベル)は静
かな事務所程度のものである。上記測定場所が屋外であることを考慮すると,ボイラー音
が原告らの居住する建物内部に到達する段階では,反射,距離減衰,回折減衰等の効果に
より更に数デシベルが減少していると推認される(乙B18)。
以上の諸事情に乙川湯が平成21年9月30日限りで廃業したことを併せ考慮すると,
平成18年2月27日以降の乙川湯のボイラー騒音が原告らとの関係において社会生活上
の受忍限度を超えるものであったとはいえない。
(2) 原告らは,ボイラー騒音が受忍限度を超える違法なものであるとして種々の
主張をするので,検討する。
ア 原告らは,①原告らが体感する限り,ボイラー騒音は防音修繕工事後もほとんど変
わらなかった,②乙川湯は常日頃ボイラー室に隣接する玄関扉を半開放,全開放しており,
乙B16の測定時にも,測定時だけは玄関扉を閉じていたが,測定が終わるとすぐに玄関
扉は全開放されたとし,その測定結果は騒音被害の状況を正確に示すものではないと主張
する。
しかし,上記①の原告らの体感を基準にしてボイラー騒音が防音修繕工事後もほとんど
変わらなかったという主張は,客観的裏付けを欠くものであって採用の限りでない。上記
②については,被告は平成21年3月26日及び27日にボイラー音の防音修繕工事を行
い,その結果,ボイラー音の測定値は本件建物敷地境界付近で47デシベルとなり低減し
ていること,ボイラー室は本件建物内に設置され,内壁,外壁,防火扉により密閉された
空間であり,防音修繕工事の内容は,密閉された空間からの音漏れ対策として防火扉への
鉄板の増し貼りや排気部位ヘの消音器の設置を施したものであること,玄関扉はボイラー
室の防火扉の横に位置するものであることは前記1認定のとおりである。そうすると,玄
関扉の開放により同工事による防音効果が減殺されるとしても,これを過大にみるのは相
当でなく,乙B16の測定結果の基本的な信用性は左右されない。
イ 原告らは,ボイラー騒音と原告春子の主張する損害(転倒受傷したことによる損害
と,ストレスが原因で多発性脳梗塞,高血圧症となったことによる損害)との間に相当因
果関係があると主張する。
そこで検討するに,証拠(甲10,15,18)及び弁論の全趣旨によれば,原告春子
は平成20年12月8日に転倒して右大腿骨頚部を骨折して入院し,その後多発性脳梗塞
及び高血圧症になって平成21年4月13日から同年7月10日まで入院し,退院後は自
宅療養をして通院治療を続けたこと,脳梗塞の後遺障害として平成21年10月29日付
けで身体障害程度等級が1級になったことが認められる。そして,甲22(原告明夫の陳
述書),23(原告明夫の報告書)には「ボイラー騒音が原因となって原告春子の上記損
害が生じた」旨の陳述記載部分があるけれども,これを裏付ける客観的な資料がなく,採
用の限りでない。他にボイラー騒音と原告らの主張する損害との間に相当因果関係のある
ことを認めるに足りる証拠はない。
(3) したがって,乙川湯のボイラー騒音は受忍限度を超える違法なものとはいえ
ず,乙川らはもとより被告についても不法行為は成立しないから,原告らのボイラー騒音
に係る請求は,その余の点について判断するまでもなく理由がない。
3 次に,乙川湯の建物及び万代塀の老朽化からくる不安感に係る不法行為の成否につ
いて判断する。
原告らは,被告が所有する乙川湯の建物及び万代塀が老朽化して倒壊等の危険性がある
とし,その前提に立って,被告は危険を除去する義務を負うのに,漫然とこれを怠り放置
し,これにより原告らは建物や身体に危険が及ぶ不安感を抱いているのは不法行為に当た
ると主張する。
しかし,乙川湯の建物及び万代塀が昭和31年の建築以来耐震改修工事がされておらず
老朽化しているからといって,その一事をもって乙川湯の建物及び万代塀に火災・倒壊な
どの発生する具体的な危険があるとはいえない。他に乙川湯の建物及び万代塀に火災・倒
壊などの発生する具体的な危険があることを認めるに足りる事情ないし証拠はない。した
がって,被告において乙川湯の建物及び万代塀の倒壊等の危険を除去する義務を負うこと
はなく,原告らの上記主張は採用することができない。
4 以上によれば,原告らの請求はいずれも理由がないから棄却することとし,主文の
とおり判決する。
(裁判長裁判官・畠山 稔,裁判官・矢作泰幸,裁判官・瀬戸信吉)
別紙 物件目録〈省略〉